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面白いことと、徹底的に向き合ってきた。 そして、これからも。

「やることは、まだ誰もやってないことだ。」――そう掲げるShowdotグループの代表・村松大輔は、ある意味じつにシンプルだ。面白いことを、全身全霊で実現する。ひるまない。立ち向かう。そんなスタイルが形作られるまでの半生を、ここに語った。

楽しい空間をつくりたいだけ。 だから、イベント制作をとことん学んだ

showdotグループの代表・村松大輔は10代のころから、人を驚かせることが好きだった。自分のつくり出したもので、誰かを喜ばせたい。相手の感情を揺らし、そこから湧き出たリアクションを味わいたい。そのロマンを叶えるために選んだ仕事は、イベント制作だった。

「学生時代に空間デザインを勉強していたので、施設のデザインや宣伝美術、映画やテレビのセット制作など、就職の選択肢はいろいろとありました。でも、映像の世界は見て楽しむだけのものだし、住宅や店舗は機能性も重視しなければいけないからつまらない。人が入って楽しめる一番面白い空間をつくるには、展示会や発表会などを手がけるイベント制作がいいと思ったんです。2000年代に入りかけた当時の業界には、いま以上に尖ったことがやれそうな空気がありました」

その予感は当たってもいたし、外れてもいた。確かに、面白い空間をつくるプロジェクトには携われる。しかし、村松のポジションには決定権がない。

「図面やスケッチパースを描く作業は、楽しかったんです。でも、いい絵が描けてわくわくしながら実際の仕上がりを見に行くと、現場の判断で色や配置ががらっと変わっていることばかり。ある大手ブランドの新製品発表会では、ステージデザインをあれこれ考えている僕に、演出家さんが『白い壁だけ立てておいてください。あとは映像と照明でやるので』とおっしゃいました。自分が、プロジェクトを運営するための“パーツのひとつ”であることは理解しているつもりなんだけど、それでも“単なるパーツ”でしかないことが悔しくて……しだいに、全体をディレクションできる演出に興味を持つようになりました」



学生時代は、優秀作品やトレンドの逆張りをして、それなりの成績を収めていた。でも、自分のことは平凡な人間だと思う。「きみの作品は普通だ」と言われて腹を立てたこともあるけれど、的を射てはいた。だからこそ、基礎をしっかり固めなければ、本当に才能のある人間には勝てないという思いがある。そこで20代の村松は、修行を決めた。

「会社の業務とは別に、いろんな制作会社に顔を出して、無給でそこの仕事を手伝わせてもらいました。大きなイベントの全体打ち合わせなんかだと、自分の担当範囲の話が終わっても無駄に居残りして、後半の演出打ち合わせにも参加させてもらうんです。で、いろんな雑務を拾いながら、勉強していく。当時学んだことは、いまでも礎になっているなと感じます」

仕切る側の立場も経験してみたくて、代理店に出向したこともある。しかし、イベントをつくるうえで最も輝いていると感じ、村松が最も惹かれたのは、やはり制作会社だった。間もなく30代を迎えるころ、演出としてのステップアップを狙って、村松は株式会社グランドステージに転職を果たす。

身一つで掴んだチャンス。 乗り越えた修羅場が、糧になった

そこからの最初の3年間は、地獄のようだったという。10代からずっと好きなことばかりに取り組んできて、それなりに芽生えてきていた自信も、すべて折れた。しかし、その状況を打破したのも、村松自身のチャレンジだ。

「上司が急なケガをして人手が足りなくなったことをきっかけに、一人で案件を回したいと手を挙げたんです。それからは、次々にやってくる試練のような仕事を、夢中で打ち返す日々。徐々に大きなイベントを仕切れるスキルが身に付いていて、いつのまにか自信も回復していました」

転職から数年が経つころには、会社の売上の大部分を村松が担うようになっていた。けれど、一人でやれる案件には限りがある。後に続く人間を育て、会社のリソースをうまく使い、仕事を広げていくような動きは、当時の村松にはない。だからこそ社長から「お前はサラリーマンを辞めて、会社をやってみろ」と言われたのだろう。少しずつ、そんな意識も持つようになる。いまに至るまで継続している大型イベントの案件が舞い込んできたのは、そんな時期だった。

「コンペを経て大手代理店がやるような規模の話だったので、はじめは『うちがですか? 何をおっしゃってるんでしょう』という感じでした。でも、担当者の方は真剣だった。半信半疑ながら会場探しをはじめ、奇跡的に理想の場所を押さえることができたんです。そこからは、怒涛でした」

信じられないほど未知の案件に、村松は身一つで挑んだ。さまざまなツテをたどって必要な会社や人材を探し、プロジェクトチームを組み上げる。キックオフミーティングに向けて、簡単な企画やデザイン案も用意した。クライアントがどんな反応をするかはわからなかったけれど、手ぶらで行くよりもいいと思ったのだ。しかし、その判断が村松にとって苦い経験に変わる。

「ぱらぱらとめくられた企画書は、すぐに『目指すゴールを、ちゃんと勉強して来てください』と突き返されました。きつかったですね。でも、正論だった。とりあえず形を整えようとしただけで、僕らはまだ何もやれていなかったんです。周りからは『私たちが受ける規模の仕事じゃない』と忠告もされたけれど、ここで諦めたら、もうこの仕事を続けていたくなくなると思った。人生の中にいくつかある千載一遇のチャンスだと感じたんです。だから、一ヶ月後にもらった再プレゼンの機会には、全身全霊をつぎ込みました」

再プレゼンでの細かい記憶は、ない。「村松さん、ちゃんと説明していましたよ」と、後からチームのメンバーに聞いた。クライアントに「これでいきましょう」と言われて、ようやく息ができた印象だけが残っている。

「がむしゃらに仕事をしてきて、きつい現場なんていくつも経験していました。そのぶん達成感だって、たくさんあった。でも、そのフェスイベントがオープンを迎えたとき、働いていてはじめて涙が出そうになったんです。始まったら始まったで、初日はトラブルがたくさんあったんだけど……でも、初日の失敗を二日目に持ち越すことがないように、朝まで調整を重ねました。そうしたら二日目は嘘のようにすべてを挽回できて、平穏に終わった。いつも厳しいクライアントが笑顔を浮かべて、これまでの労をねぎらってくれました。限界を決めずに120%やりきる面白さを、このとき身をもって学んだような気がします」

そうした実績が認められ、村松は子会社を興した。2018年、グランド・ブルーステージ株式会社の誕生だ。もともと、会社の経営に興味があったわけではない。けれど、次々に動き出す大型プロジェクトを回していくために、代表という肩書きは便利だった。人が楽しめる空間をつくりたい――10代のときに描いたシンプルで壮大な夢は、目の前の仕事とひたすら向き合っている間に、いつのまにか叶っていた。

チームを強くして、 新たなフィールドを切り拓く。

グランド・ブルーステージは、2021年に親会社から独立。showdotグループとして、新たな旅路に漕ぎ出した。そこで、突然のコロナ禍だ。

「社会人になってからずっと、休まずに仕事をしていました。働くことが楽しくて仕方なかったし、プライベートなんていらないと思っていた。でも、いろんなイベントが中止になっていったことで、突然自由な時間が生まれたんです。そこで、あらためて会社経営を勉強してみました」

予想外の休息と経営に関するインプットは、村松の目線を大きく変えることになる。
いままでは、死ぬまでイベント制作の最前線にいたいと考えていた。でも、他にやれる社員が出てくるなら、プロデューサーは自身じゃなくてもいい。いまは、会社を強くしていきたい。そのために、いい仲間も探しはじめた。

「これだけバーチャルやオンラインに可能性が増えている世の中だから、リアルに固執するつもりはまったくありません。ただ、showdotには間違いなく、最高峰のリアルをつくれる環境があります。だから、その環境を利用して学びたいことや叶えたい夢がある人には、ぜひ来てほしい。ここをひとつのチャレンジの場だととらえてもらえたら、すごくうれしいですね」

何だって、やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいい。月並みな言葉ではあるけれど、村松はそれを深く感じる。

「結果はどうあれ、何かをやれること自体がプラスだと思うんです。チャンスって、実はそこらへんにいっぱい転がっている。僕にとってフェスイベントの案件はまさにその、宝くじの一等みたいなチャンスでした。20代のころは一流になりたくて焦っていたけれど……掴むべきチャンスを掴んでもがいたからこそ、いまがあるんだと思う。同じように宝物みたいなチャンスを、若手の方にもここで掴んでほしいんです」

そうしたチャレンジ精神は、前線のクリエイターだけに限った話ではない。たとえば経理なら、ただ目の前のお金を勘定するだけでなく、経営目線を持ってコストを管理していく。人事は戦略を持って人を動かし、総務は会社を整えていく……。バックオフィスであろうと、誰もに自分のポジションで闘ってもらうのが、showdotのスタイルだ。

「僕自身はかなりブラックな働き方もしてきたし、いつだって何だって120%やらなくちゃいけないという、一種の呪いにかかっています。でも、一緒に働く人たちに、同じやり方を求めるつもりはありません。だってそれは、いまの時代に合ったやり方じゃないでしょ? これからは、一人ひとりの生き方を尊重したうえで、面白いことをやっていけるほうがいい。そのために、会社にできるサポートも惜しまないつもりです。たとえば『マルチチャレンジ制度』では、仕事に活かせる勉強や資格取得、ツールなどにかかる費用を会社が補助しています」

もちろん、昔のように徹底的にやりたい人も大歓迎だけど……と言って、笑う。ただ、過酷だった下積み時代も、幅広いのに濃密なプロデュース案件の数々も、すでにとおりすぎた過去だ。これからどんなことをやっていくか、どんな人と出会って何を生み出していくかに、一番わくわくする。村松は、未来の話をするときにこそ饒舌だ。

「これまでやってきたイベント事業のほかに、これからどんな新しいコンテンツをつくっていこうかと思案するのが、いまは楽しいんです。たとえば、Netflixみたいに莫大な予算をかけて制作する映像コンテンツに興味があります。それからいつかは、遊園地をつくりたい。もっと予算や開催日数があればここまでできるのに、って思いながら諦めた空間を実現してみたいんですよね。つまり結局のところ、手段はなんでもいいんです。僕は、新しいことを形にする仕事をやり続けたいだけ」